自分がされて嫌なことじゃなくても

自分がされて嫌なことじゃなくても

子供の頃親に「自分がされて嫌なことはしちゃだめ」と言われたことがある人は多いと思います。

私もそう言われて育ちましたし、つい最近も同じ幼稚園のママさんがお子さんに言っているところを耳にしました。

これは儒教的な思想ですね。
論語の己所不欲勿施人(おのれのほっさざるところひとにほどこすなかれ)という教えです。

人の立場を自分に置き換えてその痛みを想像する。
これ自体はとても大切なことで忘れてはいけないことだと思います。

が、これだけだとどうしても対応できないことがあるのですよね。

つまり「自分にとってはなんとも思わないことだけど他の人が嫌がること」だとか「自分にとっては嬉しいけど他の人にとっては嫌なこと」とか、自分と価値観が違った人間に出会ったときです。

様々な人種、バックグラウンドをもった多民族国家たるアメリカなんかでは「お互いに他人の価値観は尊重しなければならない。社会的ルールを守ったうえならどちらかに無理にあわせなくともいい」という考え方をします。

嫌だと言われたらそれはどんなことでも、例え悪意がなくってもやっちゃダメ。
そして傷つけるつもりはなかったんだよと自分の価値観への理解はもとめてもいいけどその価値観にあわせることを強要しない。
そのうえで解決策を考える。

そこで生まれ育った人だけが住んでいて、同じ学校で学び個々人のバックグラウンドもすべて共有されているちいさな村社会、みたいなところに住んでいるなら自分基準での想像だけでなんとかなることが多かったのだろうけども現代の日本はそうじゃありません。

体験してきたことも立場も違う他人の全てを想像で補うのは無理。

他人の価値観への尊重とともに自分の価値観の表明と理解をもとめることができること。

これからの日本でも必要なことかなと思いますし、うちの子にはそれができる子になってほしいなと願います。

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