中学くらいの多感な頃に、なんで私は産まれたのか、なんで生きてるのかとかそんなことを多分人並みに考えたことがある。
死ぬのを考えるのと生きることを考えるのは表裏一体。そこにはまっちゃうと大変しんどいので、なんらかの目標をすえて答えを出す人もいれば、まぁ取り敢えず置いといて生きとくか、モラトリアム、モラトリアムみたいな、死ぬまでにわかればいいやってな人もいると思う。
昔の私は生きる理由はわかんないけど、もし私が死んじゃったらお母さんが泣くなと思った。
そう、その時はじめて心の底から愛されてるなっていう実感を得て、この人を悲しませないために私死んじゃいけないんだと思った。つまり学校っていう狭い狭い世界が、どんなにつらくても、どんなにつまんなくても生きないといけない。
幸いにも大学入ってからが楽しすぎたので、そんなこといつの間にやら忘れていたのだけど、子供が産まれてからまた生きないといけないと強く思った。
私はこの子が成人するまで育てて、大学を卒業させて、結婚式にでて、出産してから家事だの孫の世話だのサポートしてあげないといけない。
最低限私のお母さんがしてくれたのと同じことはしてあげないといけない。私が死んじゃったらこの子が困ってしまうのだ。
責任重大である一方すごく楽になった。生きる理由ができたから。
私ここにいていいんだ。っていうかいなきゃいけないんだ。
そしてなによりういちゃんの日々の成長が楽しみすぎる。文字通り生き甲斐ってやつ。
産まれてきてくれて本当にありがとうだよ。
もしういちゃんが将来同じように思い悩むようなことがあったら
少なくとも私はあなたがうまれて救われたのよって伝えてあげようと思う。